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松筠博物館MUSEUM

同窓会の歴史

『松筠』のいわれ 松筠同窓会の発足 松筠同窓会の沿革 周 年 事 業

同窓会館の歴史

『旧』同窓会館 『新』同窓会館

 

『松筠』のいわれ 

 私達の同窓会は『松筠(しょういん)同窓会』と言います。名称のいわれについては、きちんと書かれたものはなく、先輩からの聞き伝えにより受け継いできたものだそうです。
 それによると、『松』は一年中その色を変えず青々としているところから、若さ・不老長寿の象徴とされ、門松や松竹梅などに代表されるように、めでたい席の縁起物として扱われれています。
 また、播州地方の海岸線は白砂の地として謡曲「高砂」に『尾上の松』として謡われ、松の名所が随所にあるということで、『松』とは他ならぬ縁があるのです。昭和40年に「常松」が母校校木に定められたのもそのあたりが所以であるかも知れません。『筠』は竹の葉が風で触れ合う笹ずれの響きを表現しており、『松』と『筠』を重ねて、同窓会員がお互いに助けあい、心のふれあう場となるよう願って付けられた名称なのです。懐かしい友との絆をつなぐ場として『松筠』の名称を大切に受け継いでいきましょう。


松筠同窓会の発足

 母校前身の加古郡立高等女学校に初めて同窓会が生まれたのは、大正4年3月20日に46名の第1回生が卒業した時である。しかし、人数も少なく組織も未熟であったので、同窓会長は学校長が兼任する形で発足した。現在、母校に保存されている一葉の古い写真があるが、どうやら1,2回生が共に集まった時、いわゆる同窓会総会のものと思われる。
 1,2回生は他の学年と違って、開校時は同時に入学しながら卒業が1回生、2回生と別々になったということで、他の学年以上に結びつきが深かったのだろう。当時、同窓会総会は開校記念日の5月19日に開かれる事になっていたらしい。以後、しばらくの間はこの日に行ってきた。現在は、8月のお盆を過ぎた頃に開かれている。
 『松筠』の名称は初代学校長の谷口金太郎氏が命名したものである。従って、同窓会発足当時から使用された、由緒ある名前で今日に至るまで使用されている。同窓会長は歴代校長が兼任(初代谷口校長~7代三宅校長まで)していたが、役員幹事はクラス1名の代表があたり、卒業生全員が会員ということで組織としての形が出来つつあった。6回生が卒業する頃になると、会員数もややまとまり組織として体を成すようにもなり、卒業式の午後に同窓会入会式が行われるようになった。現在は、卒業式前日の記念品贈呈式の後に入会式を行っている。
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松筠同窓会の沿革

 昭和16年新校舎が完成して(現在の校地)移転が完了した。しかし、その直後に第二次世界大戦が勃発し、国中が戦争一色となり、戦争遂行以外の動きはすべて止まった。同窓会活動もそのほとんどが休止していたが、会報誌の発行だけは継続されていた。戦後の教育界における大改革は、同窓会にも大きな影響を与える結果となった。それは加古川東西両高校の折半交流による男女共学の実施で、開校以来の女生徒の園であった母校に、男子生徒が入ってきたことである。従って昭和25年3月、高2回生が卒業するにあたって、これを同窓会へ迎え同窓会初の男子会員が誕生することとなった。
 一方、組織面でも学校長が兼任していた同窓会長も会員の中から選出した。同窓会の実質的な初代会長に小南かをる(女1回)氏を選出し、他に副会長、書記、会計などを選任、昭和24年から就任した。経理面でも従来校長名になっていた財産名義も同窓会長名に名義変更するなど、同窓会自身も会員の努力によって大きく脱皮し、自主運営を軌道に乗せていった。

 次に、顕著な沿革を年度ごとに辿っていく。
                                  
昭和26年 母校創立40周年。校地の拡張に金銭的援助をする。会員数も4,000人を超える。
また、この年は長年の念願であった同窓会館の建設に総力を結集した年でもある。
当時の小南会長、下川・菅野両副会長、墨谷・辻村両会計を中心に、用地問題・経費の問題など色々な難問題を処理した。
昭和35年 釜谷研造(高2回)氏が第2代会長に選出され、高橋いさ(女14回)、加茂豊子(女17回)の両副会長と共に組織の改革と充実をめざした。従来の年次幹事と校内幹事から執行委員を選び、運営の多角化と円滑化を図る。執行委員は、総務・文化・体育・会計・記録・親睦・会館運営及び生活委員会をもうけ、結婚の斡旋にまでのり出した。経費は在校生(準会員)の月別分納金によってまかなった。
昭和36年 母校創立50周年の行事に協賛しながら独自の事業を計画し、その実現に向かって努力した。現在継続している年間事業の主たるものは、この時に計画されたものが多い。以下に概要を述べる。
◇「会報」の発行、当時すでに8,000人の会員を抱え、会員の動静を伝え相互の
  連絡を目指した。
◇「華松会」の創設・翌37年、女1~5回生までをまとめて第1回の華松会を行った
◇「地域支部・職域支部」の結成・各地域の幹事を中心に結成していった。
◇「同窓会名簿」の発行・単独の名簿としては最初。 以後、5年毎に刊行。
  表紙デザインは藤原向意(高3回)氏。
◇「松筠同窓会館」のネームプレートを作成。
また、50周年記念図書館の完成を祝って、ステレオ音響設備、16㍉映写機、暗幕設備一式を母校に寄贈し、母校の視聴覚設備拡充に協力した。
昭和38年 4月に母校の体育館兼講堂(313坪)が完成した。同窓会より、放送設備一式と折りたたみ式パイプ椅子1,680脚を寄贈し、体育館の竣工をお祝いした。
11月12日母校の校舎3棟が火災で消失するという、開校以来の不祥事が発生。ただちに臨時総会を開いて対策を協議し、取りあえず母校への見舞金の寄付を募ることを決定。しかし、校舎は火災の復旧工事として全額県費で再建されたため、募金は生徒集会所(旧白雲会館)の建設資金に。また、この年は8月の篭球部OB会結成をかわきりに、排球部・山岳部・羽球部・柔道部・書道部のOB会が次々と結成された
昭和40年 同窓会活動が多方面にわたってくると、新しい幹事に同窓会の活動を的確に把握してもらう必要から、昭和40年(高18回)の新入幹事に対して、初の同窓会入会セミナーを実施した。今日まで、毎年卒業時に続けている。
昭和41年 同窓会館の使用規程を成文化した。これまでの同窓会館は会員の憩いの場として大いに利用されてきたが、会員以外の会館利用も多くなり、従来からの慣例などの不文律で内規的なものを文章化する必要が生じ、会館使用上のマナーを中心とする規程を定めた。会員の親睦についても新しい企画が打ち出された。会報を通じて全会員に呼びかけて、希望者を募るという形でバス旅行を実施した。第1回は箕面・枚方方面への日帰りツアーで、以後今日まで続いているので、すでに近畿一円日帰りコースは行き尽くした感じである
昭和43年 1968年度版の名簿発行を行った。前回の名簿と共にそのフェイスを飾るに相応しい表紙のデザインは、高3回の藤原向意氏に依頼し、素晴らしいアイディアの表紙をいただく事が出来た。
昭和45年 母校に学園紛争がおこり、約1ヶ月余の授業を中止をしての、いわゆる教育正常化運動の起こる中で、同窓会としてはそれを静観せざるを得なかった。ただ、紛争が終結に向いて行く中で、在校生の中に同窓会への入会、同窓会費納入を拒否する者があらわれた。これは同窓会始まって以来の大きな出来事としてとらえねばならない。
昭和47年 母校創立60周年にあたり、母校では記念式典をはじめ記念誌の発行等が計画され、同窓会もそれに応えて副会長を6人制に、各委員会もメンバーの強化を図り協力した。
昭和50年 前年より同窓会の財政事情を検討していたが、本年度から会費の値上げを実施し、また、内部組織として「新松会」(10代~30代)、「青松会」(40代~50代)を華松会と同様に設け、会員相互の交流を図る
昭和51年 会員大会を8月22日に母校で開催した。同日、テニス部OB会が発足した(参加数90余人)。またクラス会・学年会に対し補助金を出すことに決定。高29回生が卒業した時点で、会員数が15,000名を超えた。
昭和53年 創立65周年にあたり名簿の発行を計画。今回は、地区別・クラブ別・職業別に索引を付けて利用範囲を広げることとした。
昭和55年 昭和53年~母校創立70周年に向け、同窓会館増築のための募金活動を重ねてきた。その状況は、55年6月30日現在で、寄付者3,122名、募金総額23,256,400円に達した。募金して下さった方々は会員はもちろん、現職員・旧職員・一般の方の他、同窓生の法人等広い範囲に及んでいる。
昭和56年 前年度から始まった会館増築工事が春に完成を見た。従来の木造建屋の前に、鉄骨モルタル仕上げ総二階建ての建物を接合させ、旧来の木造部も改修して竣工した。
会員大会は8月23日、新装成った同窓会館で開催した。この年は会報の発行も中止して、全てを70周年記念事業に集中することにした。
昭和57年 母校創立70周年にあたり、会員数が18,000名を超えたと同時に、会の通常予算額も初めて400万円の大台に乗った。会計面では、本年から会報を通じ会員全員に「年会費」の納入をお願いした。年額1,000円で2年分をまとめて納めて頂くように依頼した。野球部OB会が発足した。
昭和58年 会報の発行は取りやめたが、会員大会をはじめ、華松会・親睦バス旅行等は予定通り実施した。
昭和59年 会報発行年(隔年)にあたり、会員全員に対し年会費の納入について紙面を通じてお願いする。
昭和60年 会報のミニ版を発行し、年会費納入者のみに送付した。バトミントン部のOB会が発足した。同窓会の事務処理を円滑に行うため、事務局にコンピュータを1台購入した。
昭和61年 会員数が創立74年目にして、遂に20,000人を突破した。
各地で相次いで支部が結成された。昨年11月の神野町をかわきりに、播磨町、稲美町、加古川町、野口町、東神吉町など次々と結成を見た。親睦バス旅行は、初の試みとして一泊二日(北陸の湯湧温泉方面)で実施した。
昭和62年 5月3日加古川スポーツセンターで開催された、東洋・太平洋フライ級タイトルマッチにおいて、松村謙二(高30回)選手がタイのチャンピオンを判定で下して、見事チャンピオンの座を獲得。同窓会から『世界に翔け松村謙二』の横断幕を贈った。
創立75周年にあたり、会員大会は8月16日、冷房完備の同窓会館で行い、在校生による弦楽器演奏を鑑賞し、パーティーの後、有志の方々で社交ダンスを楽しんだ。
平成元年 母校に県下でも最大級の体育館が完成し、その落成式にボクシングの松村謙二(高30回)氏の記念講演とオペラ歌手の藤野敬子(高28回)氏の独唱で式典を飾った。
同窓会は新体育館の新築を記念して、舞台の緞帳・一文字幕・袖幕等一式を寄贈した。緞帳の裾に書かれた寄贈者『松筠同窓会』の金文字は納生猛(高2回)氏の揮亳によるものである。また、1989年度版松筠同窓会員名簿の発行を企画。今回より資料の収集・発行・代金の回収を業者に委託する方式に変更した。
平成
2
会員大会は加古川プラザホテルで開催、ゲストにタレントの間寛平氏を招く。
この年には大阪支部が誕生し、5月2日に大阪阪神百貨店で支部総会を行った。
平成
3
会員大会は8月18日加古川プラザホテルで開催、県コンクールで銀賞に輝く母校ブラスバンド部の演奏と、オペラ歌手として活躍中の藤野敬子(高28回)氏の独唱で、一層の盛り上がりを見せた。華松会は高2回生が新入会となり、男子会員として初参加した。会館二階の会場で中嶋忠幸前校長を講師に迎えお話を聞いた。
平成
4
9月22日加古川市役所「松筠会」が結成され、180名の職員を集めて設立総会を行った。年会費について、本年から従来の2倍、即ち年額2,000円の納入をお願いすることに決定した。
平成
5
会員大会はプラザホテル(会費5,000円)で実施した。各国のビールの味比べゲームが好評であった。
平成
6
会員大会は全員にテーブルと椅子を用意し、競馬放送のアナウンサーである吉田勝彦(高7回)氏を迎え「競馬の裏話を語る」と題した講話を頂いた。10月末に「同窓会名簿」(1994年版)を発行、価格3,700円で前回からの据え置きであった。今回の名簿には、併設中学1回生(高3回と同級)の名簿も掲載できて充実した内容になった平成6年8月現在の会員数(高46回生迄)は物故者を除いて23,193名を数える。
平成
7
1月17日未明、兵庫県南部を未曾有の大地震が襲い、同窓会員を含め大勢の方々が被災され、個々の救援は困難と考えられたので、相談の結果、2月24日付で100万円の義援金を神戸新聞社を通じて寄託した。この年、新規事業として「第1回同窓会ゴルフコンペ」と銘打って、会員有志によるゴルフ大会を始めた。また「会費納入者名簿」を会報と共に全会員の手元に届くように配慮した。
平成
8
現在活動している部活動OB会と支部活動を紹介する。
 テニス部 山岳部 女子卓球部 古典短歌の会 美術部 バトミントン部 
 剣道部 硬式野球部  バスケットボール部 柔道部 バレーボール部 吹奏楽部
支部活動 (神野支部 播磨支部 兵庫県庁支部 加古川市役所支部 大阪支部) 
平成10年 「松筠須磨琴の会」が発足。この年の2月8日,15日,22日と3月8日付の朝日新聞朝刊(播磨東部版)で「高校人国記 播磨の群像」というタイトルで加古川西高校の同窓生の活躍ぶりが紹介された。
平成11年 「同窓会会員名簿」(1999年版)の発刊…7月に予定していたのが遅れて、9月30日付けで発行し申込み者に送付した。代金の3,700円は前々回発行時から据え置きである。この時点で会員数は25,000人を超えた。
平成13年 卒業生の年会費は平成4年から年額2,000円であったが、近年の状況を勘案して、4月14日の常任幹事会で年額3,000円に改定することが決議された。
平成14年 母校創立90周年にあたり、大型ビデオプロジェクターを寄贈した。
平成18年 8月20日の会員大会のアトラクションは、久しぶりに母校吹奏楽部の演奏に耳を傾けた。「華松会」の入会は高17回生。
平成19年 この年も会員大会のアトラクションに母校吹奏楽部に出演を願った。前年の演奏を聴かれた方々からのリクエストに応える形で実現したものである。また、本校開校以来の最大卒業者数(589名)を誇る高18回生が還暦を迎え、「華松会」入りを果たした。
平成20年 この年から会員大会に、卒業後20年(満38歳)の「青松会」が合流した。今回は高40回生が対象で31名の参加であった。アトラクションは高47回生でドイツ留学中の釋三恵さんにお願いした。一時帰国されるタイミングで演奏をお願いしたものである。ベルリン管弦四重奏団やテレマン室内管弦楽団等とも共演される実力の持ち主で、素晴らしいピアノ演奏を聴かせてもらった。
平成21年 4月25日の幹事会は、拡大幹事会として全幹事に案内を出し、高2回生から高61回生までの100余名の参加で開催された。母校創立100周年に向けた同窓会活性化の具体策として、会員の同窓会活動への関心を高める意見を出してもらった。その中で、まず可能なものから実行に移す事となり、早速6月の母校文化祭に卒業生の作品展示コーナーを開設し、同窓会の存在をアピールした。
平成22年 母校創立100周年記念事業実行委員会が立ち上げられた。専門委員会として、記念式典、記念行事、記念誌編集、記念祝賀会、募金活動推進(会館建設含む)、広報活動の各委員会が設置され、同窓会は主として祝賀会と募金活動を担当することとなった。会員名簿の2010年度版を7月に発行、この時点で会員数は31,511名であった全会員に同窓会館建設資金の募金を呼びかける募金趣意書を送付した。
平成23年 6月10日締めで会館建設募金の第一次集計が発表された。協賛企業も含め、1,300件、21,548,506円であった。
6月18日の母校文化祭に今年も卒業生の展示コーナーを開設した。多くの卒業生の協力を得て、素晴らしい作品展示が出来た。
平成24年 母校が創立100周年を迎え、同窓会は記念事業の中核をなす新同窓会館の建設を実現させた。記念グッズ、記念式典、記念講演、記念祝賀会、記念誌編集、同窓会館建設募金などに同窓生多数の協力があり、周年事業は同窓会あげての取り組みであることが再認識された。5月31日締めで会館建設募金の第二次集計を発表した。2,171件、5,050万円であった。母校敷地内で新同窓会館の新築工事が始まる
平成25年 2月10日新築中の同窓会館が竣工し、3月には県に委譲された。
松筠同窓会の第2代会長として、半世紀にわたり尽力された釜谷研造(高2回)氏の後任として、第3代会長に芝田智敏(高9回)氏が選出された。役員に若手を起用し、委員会も刷新され、松筠同窓会が新たなスタートを切った。
平成26年  毎年発行している『松筠会報』がカラー印刷となり見やすくなったと好評。
旧同窓会館の跡地について、当面は同窓生の会合時に駐車場として利用することとし、平屋建て部分を解体。
平成27年 同窓会会員名簿 2015版を発刊。
市役所固定資産税課から本年度より旧会館跡地が課税対象となる旨の通達があり、役員一同驚いた(年額概算60万円) 。 (従来は県所有物扱いだった模様)
平成28年 固定資産税の予算化が同窓会事業全般を圧迫しかねないと、跡地売却の方向へ舵を切るべく検討を重ね、会長個人名義のままでは不都合があり、早急に同窓会名義にするべく作業に入った。それが一般社団法人設立への取り組みの第1歩である。
 平成29年 一般社団法人化のための定款作成及び文言の修正、設立メンバーの選定などに時間を費やしたが、公証人役場での認証を経て、登記申請を終える。
定款はいつでも事務局で閲覧できます。
個人情報保護の観点から、新入生の個人情報を得るため、松筠同窓会入会案内を配布、準会員構成の協力を求める。また、同窓会としても個人情報取扱規則を定め、個人情報保護に努める。
 平成30年 4月4日付で『一般社団法人 松筠同窓会』の誕生となった。
旧同窓会館跡地売却については競争入札により、参加事業所(4社)から決定した。売却益については、在校生の奨学資金として活用する方向で検討している。
会報誌のページ増(8ページ→12ページ)で情報量を増やし、写真、レイアウトを大きくとることで更に見やすくなった。
 平成31年/令和元年 5月1日をもって、元号が平成から令和へと改元された。
明治-大正-昭和-平成-令和と移り行く世の中と共に、同窓会の歴史も同じく時を刻んできたのである。
このたび、代表理事(会長)の芝田智敏(高9回)氏が退任し、橋本英俊(高24回)氏が後任の代表理事(会長)として選出された。

(旧)松筠同窓会         一般社団法人松筠同窓会
会長(3代)  芝田智敏     代表理事(会長・初代) 芝田智敏
               代表理事(会長・2代)  橋本英俊

周年事業

                
40周年(昭26) 新校舎移転時に購入していた谷田の実習田を埋め立て、校地として寄贈した。
50周年(昭36) 母校創立50周年を迎え、学校では多くの事業が計画されたが、同窓会としては母校の行事に協賛しながら、一方では独自の事業を計画し、その実現に向かって努力した(詳細は沿革参照)。
60周年(昭47) 母校創立60周年に当り、記念式典をはじめ記念誌の発行など多くの行事・事業が計画された。
70周年(昭57) 創立70周年の記念講演には神戸新聞社論説委員の川崎泰民(高2回)氏が「経済記者から見た世相の変遷」と題して講演を行った。祝賀会は増改築により新装成った同窓会館2階大会議場で、立食パーティー形式で行い、準備から当日の進行等、すべて同窓会で行った。
80周年(平4) 母校は創立80周年を迎えた。記念式典は10月17日母校体育館で挙行され、前庭でモニュメント『羽ばたけ西校 (”Wing stone”)』の除幕式が行われた。作者は彫刻家の井原良忠氏。記念祝賀会は「記念会員大会・祝賀会」として、加古川プラザホテルで開催された。
90周年(平14) 母校創立90周年記念式典が10月26日、加古川市民大ホールにて盛大に挙行された。セレモニーに続いて、帝塚山大学のジェフ・バーグランド教授が「ジェフ流異文化コミュニケーション論」と題して異文化交流の楽しさを披露され、多くの参加者が共感した。同窓会は大型ビデオプロジェクター寄贈した。後輩の学習にも大いに役立っているようである。
100周年(平24) 母校創立100周年記念式典が10月20日、母校体育館に於いて厳粛かつ盛大に挙行された。兵庫県知事 井戸敏三様をはじめとする来賓の方々より祝辞をいただいた。また、予てよりの懸案であった母校校庭に新同窓会館建設が実現する平成25年2月10日堂々の竣工の運びとなる。
110周年 (令4)   母校創立110周年記念式典が10月29日、母校体育館に於いて挙行予定

  

旧同窓会館

昭和31年 
上棟式 
母校創立40周年。校地の拡張に金銭的援助をする。会員数も4,000人を超える。
また、この年は長年の念願であった同窓会館の建設に総力を結集した年でもある。
当時の小南会長、下川・菅野両副会長、墨谷・辻村両会計を中心に、用地問題・経費の問題など色々な難問題を処理した。 
 
旧同窓会館竣工
昭和56年  
改修後の旧同窓会館
母校創立70周年記念事業として、同窓会館増築が決議され募金活動を重ねてきた。前年から始まった増築工事が春に完成を見た。従来の建物の前に、鉄骨モルタル仕上げ総二階建ての建物を接合させ旧来の木造部分も改修して竣工した。この年の会員大会は8月23日、新装成った同窓会館で開催した。
平成24年   母校創立100周年記念事業として校内に新同窓会館が新築され、事務局も新会館内に移転した。新会館を県に寄付採納したので、従来からある会館使用規程と新会館の使用規程が異なり、新会館で飲食・飲酒をともなう同窓会を開くということが不可能となった。旧会館の建物自体は耐震基準をクリアーしておらず、増改築する場合は建て替えをしなければならない。 そういった諸事情から旧会館を含む土地・建物の利活用について、さまざまな方策を思案しているところである。
平成27年  創立100周年記念事業も無事に終わり、休止していた同窓会行事も再開し母校学校行事にも積極的に参加するという活動形態がより充実してきた。しかし、同窓会会員が自家用車で母校に立ち寄る際、常駐の駐車スペースが確保されていない事も有り不便を感じていた。そこで、各役員会の会合参加や学校行事への参加がよりしやすくなるように、以前あった事務局の執務室および倉庫の平屋部分を取り壊し旧会館の敷地の一部を舗装し、駐車場として活用する事とした。旧会館の鉄筋2階建て建物だけを残す形で整備をすすめ、3月末日に無事工事完了となった。
 
平成30年   この年の夏は異常に高温な気温と多すぎる台風の到来で、このまま夏が終わらないのではないかと思われていた。しかし、9月になるとあの暑さは何処へ行ったかのように涼しくなり一安心。そこで、旧会館さよなら企画として、大掃除とBBQパーティーを行った。
平成31年   平成から令和へと元号が変わる年に旧会館の歴史にピリオドが打たれることになりました。昭和31年から平成24年までは同窓会の拠点として母校を見守り、平成25年の新会館完成から平成31年までは新旧それぞれが母校と繋がりを持って共に歩んだ歴史であった。

旧同窓会館

平成22年 
趣意書  
母校創立100周年事業の一つとして、母校校庭への同窓会館建設が決定し、募金趣意書を発行し、同窓生のみならず、広く募金協力を呼びかけた。
平成24年  
地鎮祭
8月11日に地鎮祭を執り行い、10月20日の式典から10日後の10月30日に上棟式を行った。

上棟式
平成25年
新同窓会館
完成は年明け31日であったが、竣工式典は平成25年2月10日に行った。会館が校庭の一画に完成したことによって、同窓会と在校生の絆がより一層強く結ばれた。

兵庫県立加古川西高等学校 
一般社団法人 松筠同窓会

 (事務局)

〒675-0037
兵庫県加古川市加古川町本町118

TEL 079-422-2642
FAX 079-439-4870
mail: shouin-dousou@maia.eonet.ne.jp

 ※執務時間 午後1時~5時
   (水曜・日曜・祝祭日は休館)
 ※留守番電話の場合は、卒業回生、
  お名前、ご用件をお知らせ下さい